今年の一言(令和4年)
「伴走者」
常務理事 茅野 隆徳
22年目の卒業
令和4年8月22日
先週、さんらいずホール利用者が市外障がい入居施設に移動になりました。彼はさんらいずホール開所と同時に利用者となり22年間さんらいずホールを利用していただきました。50代後半の新しい旅立ちです。
旅立ちに際してさんらいずホールではコロナ禍を意識しながら彼の人生の節目を意味あるものにするために工夫を凝らして送っていただきました。後日その一つ、記念のプレゼントとして渡した彼専用限定の特集記事の冊子を見て思わずみなさんにもお伝えしたくなりました。
彼は毎週テレビ雑誌「TVビジョン」を購入して見るのが大好きでいつも手にしていました。そんな彼だから記念品は色紙や額でなく、いつも持っていられる雑誌風にして作成したようです。私も限定部数の中一部頂き見ましたが今の彼に合わせて、写真を多く、文字も大きく構成されていました。22年前は写真のデーターも無く苦労したようですが30代から50代までの写る彼は「成長と老い」そのものでした。
養護学校卒業と同時に家から鉄工所に通い10年工員として働き社員旅行で北海道に行ったことを自慢していた彼ですが工場閉鎖で在宅の障がい者になってしまいました。そこから障がい施設さんらいずホールと彼との出会いが始まります。
私は彼自身もですがお父さんとの出会いや関りがとても印象深い人でした。開所間もなくお父さんが支給された作業工賃(給料)を持参して「これはなんだ。うちの子は鉄工所で働いて一人前の給料をもらっていたのにこんなはした金」と言って封筒を叩きつけて来ました。それから堰を切ったように障がいの宣告を受けた時の事、小学校入学を拒否された事を話し、ようやく就職という社会に認められる息子になったのにまた障がい者扱いをされる現状に涙していました。その時の涙は私にとっても忘れられない涙でした。そのあともう一度お父さんの涙を見たのはGH円居が出来た時「これで安心して死ねる」と私の手を握った時でした。あのお父さんは、彼の22年目のさんらいずホールの卒業をどう思っているのでしょう。彼に手渡した冊子の中に「アニキ、ごめん。後輩たちをしっかり育てます」の文字を私自身胸に刻んでゆきます。でもお父さん、「人生、卒業があれば入学もあると思えば希望が湧くよね」ごめんなさい。